寅さんロケ地 第30作 花も嵐も寅次郎

寅さんロケ地 第30作 花も嵐も寅次郎

臼杵の福良天満宮で売をする寅さん

大分
切通しの道
大分
二王座歴史の道

 戦国大名で、キリシタン大名としても名高い大友宗麟が築城した丹生島城(臼杵城)があったところ。今は臼杵公園になっている。
武家屋敷が連なる二王座歴史の道の南の丘にある福良天満宮でバイをする寅さん。

大分
花火が上がり
大分
天満宮の参道が映り
大分
カメラを構えるおじさん
大分
社殿の前で獅子舞
大分
街灯がちらりと映り
大分
天狗の舞の奉納

 映画と同じように龍源寺の三重塔や仏舎利塔を撮ろうとしても、臼杵川を撮ろうとしても木が成長して撮れませんでした。

大分
大橋寺と仏舎利塔
大分
外れると城下町がよく見える
大分
臼杵川が見えない
大分
外れると見える
大分
下へパンすると寅さんがバイしてる
大分
足元には手鏡が並んでいる
大分
寅さんの後ろに大橋寺

 足元の手鏡の横に売上を入れている箱が映り、その箱の隅を足の親指で押さえている。なんて細かい演出があったり。アドリブかしら。
「掛け声ばかりか」なんてポンシュウに言われながらも寅さんの軽快な啖呵売が続く。

 寅さんがバイをしていたところには、記念碑が建っています。
撮影日は、昭和57年の12月2日。公開日が12月28日ですから、かなり忙しいスケジュールです。

大分
寅さんロケ地跡に記念碑

記念碑の横の案内板には、

「男はつらいよ」三〇作記念の「花も嵐も寅次郎」
この映画での寅さんの旅先は大分県(臼杵・杵築・鉄輪温泉・志高湖・湯平温泉)。臼杵市では福良天満宮と臼杵石仏を訪れました。この地が選ばれたのは、山田洋次監督が福良天満宮の神域と此処から眺める城下町臼杵の風景を大変気に入り、ロケが行われる事になりました。ロケの際には、福良天満宮の大祭風景を表現し、福良の獅子舞・三輪流臼杵神楽などが舞われ、参道には露天が建ち並び、賑やかな祭りが行われる中、寅さんはこの地にて絵を売る露天商となり撮影が行われました。この作品は歌手の沢田研二さんと女優の田中裕子さんが知り合うきっかけとなる作品となりました。
映画「男はつらいよ」は平成八年夏、車寅次郎役の国民栄誉賞受賞 渥美 清さんが永遠の旅に出た事により、第四十八作をもって二十七年間の歴史に幕を降ろされました。しかし今でも全国各地から寅さんの旅先を訪れるファンは後を絶ちません。
寅さんの温かい瞳は終生忘れない。
                  福良天満宮


と書いてありました。
私も書いてあるとおりの訪れた一人なのでした。

大分
福良天満宮のパノラマ


いよいよ舞台は三人が出会う湯平温泉へ

大分
湯平温泉で

 最初は山の上から撮った湯平(ゆのひら)温泉の遠景から。
湯平温泉の北の山から南側の温泉街を撮っていると思うのですが、道が見当たらないので行けませんでした。

大分
明治橋の上に車が止まる
大分
ドアが開いて(工事中でした)
大分
出てきたのは沢田さん
大分
湯平温泉の石畳
大分
下へパンすると
大分
田中さんと児島さん
大分
上の道で沢田さんが湯平荘を探している
大分
決めた湯平荘
大分
湯平荘の前の石畳
大分
沢田さんの部屋から石段
大分
寅さんも石畳を上がってくる
大分
お風呂から見えていた山のつもり
大分
夜の湯平温泉石畳のつもり

 二枚目の沢田さんに釣られてか、みんな湯平荘(白雲荘)に集まってきた。
沢田さんは遺骨を抱いて泊まりに来ていた。母親はここで働いていたいたけど先日亡くなったのだ。
それを聞いた寅さんは、坊さんを呼んで供養してやろうと言い出し、急遽夜にお経が流れる。
田中さんたちも参列することに。
夜の田中さんは、ボストンタイプのメタルフレームメガネをしていた。あの頃流行りましたね。
寅さんが立派な香典袋を供えて焼香すると、間違えて熱いところを摘んで火傷をしてしまう。
さらに寅さんがつまんだ灰が、お坊さんの背中に入って大変なことに!

大分
湯平駅へ向かう途中で

 翌日、湯平駅へ向かう途中、いつも立ち寄る民家で火傷の指の手当をしてもらっている寅さん。
下の道を田中さん達が通りかかり、一緒に湯平駅まで楽しげに歩いて行く。


 湯平駅や湯平温泉は、もう三回ほど寄っている。この前寄った時は、恒例の大流しそうめん大会をしていた。石畳の道で流しそうめんをしていたのだ。
そんな事も知らずに立ち寄ったので、ロケ地めぐりはまたの機会にしました。

大分
石畳で大流しそうめん大会
大分
沢田さんはあそこに泊まったのかしら
大分
ここにも寅さんが